バトントワリングの歴史

バトントワリングとは

バトントワリングとは

バトン(Baton)トワリング(Twirling)とは、英語で「棒を回す」という意味です。鼓笛隊などのパレードやお祭り、学校の文化祭などでよく見られるバトントワリングもありますが、近年ではスポーツ競技としてのバトントワリングが盛んになってきました。このスポーツ競技としてのバトントワリングは、体育館の競技フロアで音楽のリズムに合わせて演技をし、バトンの技術と芸術性を組み合わせた身体表現です。

バトントワリングには、バトンを高く放り投げ、落ちてくる間にスピンをしたり宙返りなどをしてキャッチする技(エーリアル)や、バトンを身体の近くで回転させたり、指などを使った小技(コンタクト・マテリアル)、バトンを手で握らず首や腕など身体の一部を転がす技(ロール)に大別できます。これら3つを、バトントワリング界では「3モード(スリーモード)」と呼んでいます。


 

バトントワリングの歴史

バトンの歴史
バトンを様々に回転させたり、投げ上げたりする起源として、アラビアやタイの祭り事に、銃、棒、ナイフやたいまつなどを持った踊りなどが挙げられます。また、スイスでは遠くの山から山へメッセージを送る手段として「旗」が用いられ、その美しい旗が後にパレードやお祭りなどを飾るようになり、パレードでバトンや旗を投げ上げたりするようになりました。これらが、アメリカ合衆国で誕生したバトントワリングの起源だといわれています。


 

アメリカ合衆国での発展

アメリカ合衆国での発展

初期バトンの第一人者は、シカゴのMajer C. W. Boothという男性です。彼は世界の各地でバトンの公演をして大衆にバトントワリングを広めました。1938年、彼はバトントワリング連盟の構想をもって「ALL STAR TWIRLING CLUB」を設立し、多くのトワラー達が集まる機会を作っていきました。1939年に第二次世界大戦が始まると、男性は軍隊に取られ女性によるバトントワラーが急増していきました。1947年になり、N.B.T.A(National Baton Twirling Association)が結成。1951年には、公式のナショナル・コンテストが開催されました。1957年には民主主義をモットーとする組織、U.S.T.A(United States Twirling Association)が設立され、芸術的スポーツを目指すバトントワリングが「スポーツ」と「音楽」を体で楽しむアメリカ人の中で急速に拡大していったのです。


 

日本での普及

日本での普及

国内では、曲直瀬正雄氏によりバトントワリングが導入され、NHK「私の秘密」でディーナ・ケイ(アメリカ出身)を登場させ日本で初めてバトン演技を披露。当時、慶應高校の学生だった高山アイコ氏は日本人のバトントワラー第1号としてマスコミに取り上げられ、NHK「それは私です」にデビュー。これがきっかけとなり各地にバトントワリングが浸透してきました。 度な技術への挑戦、スポーツ競技としてのバトンの普及が始まり、学校教育活動、社会教育活動を問わず競技人口は急増していきました。

現在、日本でのバトン人口は50万人を超え、今やその実力は世界一。 フィギュアスケートや新体操のように芸術性の高いスポーツ競技として発展しており注目を集めるようになってきました。


 

世界バトントワリング連合(W.B.T.F.)

1977年、世界におけるバトントワリングの競技人口の急増により、世界バトントワリング連合(World Baton Twirling Federation)が設立されました。
1978年、連合役員はフランスのパリに集まり、健全なスポーツ精神にのっとり競い合うべく国際的なバトントワリング選手権大会の開催実現に向けて具体的計画を立てたのです。そして、1980年、W.B.T.F.主催の「第1回世界バトントワリング選手権大会」がアメリカ・シアトルで開催されました。


 

参照資料

・ 旧PL学園女子短期大学バトンコース<資料参照>
・ 「バトン・トワリング入門」 堀内照子著 講談社
・ 「ビューテフル・バトン」 高山アイコ、古山恵倫子著 文研出版
・ 簾田武志 2001年早稲田大学教育学部学社会科社会科学専修(放送学ゼミ)学士論文より